Genuine Story Vol.02
自然の中に身を置くと、自分自身の存在について考えさせられる。
秋田の山で暮らす父と屋久島の里に暮らす息子。
その空間と時間を GEN が結び、「日本にある美しい自然」からGenuine Story を紡いでいきます。
Genuine Story
-間-
Takuzo Saito | Ryujiro Saito

「無い」を楽しむ余白があると良い。
Q. 日本酒 GEN は、日本にある「間」について知りたいという想いをコンセプトにしています。「間」と聞いてどのようなことを思い浮かべますか?
拓蔵
日本人が本来大切にしてきたものの一つに、「間」があるのではないかと思います。
例えば、武道には「礼に始まり、礼に終わる」という教えがありますよね。あれは単に挨拶ではなく、礼をすることで、「あなたと私は今から一度分かれる」という意味だそうです。
礼をして「俺とお前は別だから、今から試合をするぞ。」という意味。
礼をする前は、俺とお前は一緒のものだから戦えない。そもそも"一緒である"という考え方が日本にはある。
元々一つという意識がそこにはあるんですよね。だから、根底には「戦わなくて大丈夫」という安心感があると思うんです。
屋久島での暮らしの中でも「間」を感じることがあります。
例えば、好きな音楽を山で聴いてみたり、釣りの帰りにわざわざ車を止めて音楽をかけたりする。多分、そこじゃないといけないという「空間」と「時間」があって、そういう「間」を楽しめることが良いんじゃないかなと思ったりしますね。
特に何かがあるわけでは"無い"を楽しむというのができると良いなと思っています。

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わからないこととの出会いが楽しいんだ。
父:龍次郎
昔、旅をよくしていた。
グアテマラや中近東、インドなんかに行ったときも、当時は情報が無くて大変だったんだよ。でもそれがまた面白いわけだよね。わからないから「どうなっているんだ?」というのが楽しいわけだよ。
でも今はみんなスマホですぐ調べて、なんでもわかる。だから行きたいところがなくなっちゃうのよ。
たまたま見つけて、出会ったものとかに感動したりするわけだよな。
釣りも自分で歩いて探して見つけた、ここは俺しか知らない沢だよっていうのが良いんだよな。
趣味は、旅と山登りと釣りだけ。誰かと行くのはあんまり好きじゃない。自分が感じるままに進みたいから、そこで見た感覚が良いんだ。
例えば、林の中を歩いていて、転んだ。そうしたら水がパッと地面に跳ねて光が差し込んだ。何かそれが凄く綺麗に見えたりするんだ。それは多分、他の人にはわからない。自分だけが見たもので、得た感覚。もしかするとそれが俺の感じる「間」なのかもしれない。

自分では見えない。
それを感じたいなぁといつも思うんだよ。
父:龍次郎
「自然の中にいるのは良い」ってみんなよく言うよね。俺もその自然の中にいるんだけど、それは自分では見えないんだよ。自分のことって見えないから、それを感じたいなといつも思うんだよね。
例えば、一人で釣りに行って、沢を探す時に気持ちが同じような知らない人にたまに会ったりする。
釣りって一番先頭の人が常に優先なわけ、後ろからでは釣れないんだよ。たまたま俺がこっちの沢を上がって行った時に、もう一人の人が違う道から来てドーンと出会うわけよ。その人は出会った時に「あなたが優先だから、どうぞ」って譲ってくれたんだよね。一所懸命ここまで登って来て、なのに出会い頭ですぐそんな反応ができるこの人「うあー凄い人だな」って感動してしまったんだよね。
彼は滝の下に移動してフライをやりはじめるわけ。その自然の中にいる彼の姿が凄くよく見えるわけだよ。素敵な光景なんだよね。
わかる?自分のことって見えないでしょ。自分もその中にいるんだけど、自分では見えない。それを感じたいなぁといつも思うんだよ。
本来一緒なもの。それに気づくために。
拓蔵
僕がやっている”anchor your nature -心に自然を宿そう-“というのは、自分の中に自然はあるということ。「自然」と言葉にした時点で、自然と人間が分かれてしまう。本来は、そもそも一緒のものと考えられると良いなと思っています。
その上で、今親父の話を聞いて思ったのは、「間」があるからこそ気づけることもあるかもしれないと思いました。
例えば自分と自然の間に、その知らないおじさんが1人入ったっていうことで、そこに「間」ができて、その人を通して、自分がいる自然を見ることができるんだなっていうこと、確かにそうかもしれないな、と思いました。
本当は「自然」って言いたくなくて、「自然」って言った時点で一緒なものが別れてしまう。でも一緒なままでは何だか分からないわけで。別れるから気づけるということがあるのかもしれない。だから、わざわざ時間、空間、「間」を取って、俺は俺、お前はお前と確認するために、さっきの「礼に始まり礼に終わる」のように、本来一緒なもの、それに気づくために「間」っていうのがあるのかもしれないですね。
明日世界が終わるとしても、今日リンゴの木を植える。
Q.拓蔵さんにとって、父親はどんな存在ですか?
拓蔵
おとんとおかんがいて、妹がいて、婆ちゃんがいて、ここは爺ちゃんの山。家族がいる。俺はおとんにいろいろ遊びに連れて行ってもらって、その時に感じたことが、今に繋がっていることがある。それが、自分をつくってきたものだと思っています。
父:龍次郎
俺と息子が違うと思うのは、俺は高度経済成⻑の時代に生き、「とにかく金がないと駄目だ」という価値観の中で生きてきたことだ。「稼がなければ」という気持ちがあった。でも、この子にはそういうところがない。
山に入ったりしながら、いろんなことを考えていると「やっぱり拓蔵の方が正解なのかな。」と思ったりするんだよね。
今の風潮は、経済と暮らしというのが僕の頃とは少しずつ変わってきているところもあるから、もしかしたら最先端にいっているのかもしれないなという気もするわけで。産みの苦しみというのはあるだろうね、その中でどう生きるかということ。
拓蔵
開高健の言葉でね「明日世界が終わるとしても、今日リンゴの木を植える」というのがあるんです。俺も好きな言葉だし、星野道夫も言ってるし、マルティン・ルターが確か言った言葉らしいんだけど、まぁそうやって人は生きていけるってことだと思うんです。
どういう時に酒を呑んで楽しいか。
父:龍次郎
あと、俺が一番どういう時に酒を呑んで楽しいかって、その昔 1970年代中や80年に南米とかアフガニスタンに旅をしていた時に、そのほうぼうで、同じような日本人に会うわけだ。夜酒呑んで、喋るんだけど、それがいちいち考えることがわかってよ、それが嬉しかった。そういう酒を呑みたいなと思う。ところがやっぱりそういうところで出会う人はあんまりいないからな。
南米で会って、途中から一緒に旅した自分のことを三四郎と言う人がいた。本名は違うんだけども、俺より4つ上で、ちょうどパナマから南米までずっと一緒に旅していたんだ。日本に帰ってからもいつも年賀状が来ていたんだけれど、四、五年前に息子さんから亡くなったって連絡が来たんだ。息子さんがお父さんの話を聞きたいから、ぜひ来てくれって。一回近くに行ったから、連絡したらたまたま留守で会えなくて、未だにまだ会えていないんだけどもね。
彼とある町で 1 週間か 2 週間か過ごした。いろんなことがあって、その街をそろそろ出るかとバスで夜に出ると、車窓から街の灯りがパーッと出てきて、その三四郎が「⻫藤くん、これが旅だねぇ。」って寂しい感じで言ったんだ。何て言うのかな。その光景をよく覚えているよ。
旅をしている時に、いろんな人と出会って、いろんな人に影響されて、生きてきた、そういう感じもある。
自分なりの在り方があるかというと、「自然の中に自分が居る」という感覚がまだ掴めない。それをもし掴めれば、なかなか立派になるのかもしれないな。笑
拓蔵
まだまだりんごの木を植え続けてもらって、この軒先も本当のリンゴの木の木陰になったら、もっと気持ち良いかもしれないよね。




